顧廷燁は単なる問題児ではなく、家門の中で居場所を失った人物として読むと立体的になります。
顧廷燁は、最初は放蕩息子のように見えます。身分は高いのに評判が悪く、家とも折り合いが悪い。けれど『明蘭』で重要なのは、彼がなぜそう見えるようになったのかです。
顧家は盛家よりさらに大きな家門です。爵位、相続、父子関係、継母の思惑が絡むため、家の中にいるだけで政治になります。顧廷燁の行動は粗く見えますが、その背景には家門の中で信じられず、使われ、追いやられてきた経験があります。
放蕩は、半分は本当で半分は評判
顧廷燁は実際に若さゆえの失敗をします。しかし、その失敗は周囲に利用され、彼の評判として固定されます。いったん「どうしようもない息子」と見なされると、何をしてもその枠で読まれてしまうのです。
明蘭が彼を理解できるのは、自分も家の中で本当の姿を隠して生きてきたからです。二人は立場こそ違いますが、家の評価と自分自身がずれているという点で似ています。
顧廷燁は、明蘭を“見抜く”人
顧廷燁が明蘭に惹かれるのは、単に賢い女性だからではありません。彼女が静かに耐え、必要な時だけ動き、家の中で自分を守る術を持っていることを見抜くからです。
だから顧廷燁の物語は、放蕩息子の更生譚ではありません。家門に誤解された男が、自分を分かる相手と出会い、家の外に自分の場所を作り直す話です。