『如懿伝』如懿はなぜ甄嬛のように勝てないのか:後宮劇としての違い

『如懿伝』を見る時、多くの人が『宮廷の諍い女』を思い出します。どちらも清朝後宮を舞台にし、同じ作者の世界につながり、女性が宮廷の中で変わっていく物語です。けれど、甄嬛と如懿は似ているようでかなり違います。

中国語圏でも、『如懿伝』は『甄嬛伝』と比べられ続けました。甄嬛は最後に権力を握る。では、なぜ如懿は同じように勝てないのか。答えは、如懿が弱いからではありません。この作品がそもそも「勝つ後宮劇」ではなく、愛が制度に壊されていく物語だからです。

甄嬛は制度を使い、 如懿は制度を信じきれない

甄嬛は傷つけられたあと、後宮のルールを覚え、そのルールを使って生き残ります。冷たくなることも、策略を使うことも、必要なら引き受ける。だから彼女は最後に皇太后の場所へ行けます。

一方の如懿は、制度の中で位を上げても、心のどこかで弘暦との昔の情を信じようとします。彼女にとって後宮の勝利は、愛を失ってまで欲しいものではありません。ここが大きな違いです。甄嬛は生きるために変わる。如懿は変わりきれないことによって、自分を保とうとします。

如懿の悲劇は、敵に負けることではない

『如懿伝』には多くの敵が出てきます。けれど本当の悲劇は、誰か一人の悪意だけではありません。皇帝が夫であると同時に制度そのものであること、愛情が寵愛や子どもや位分に変えられてしまうことです。

如懿が苦しむのは、彼女が弘暦をただの皇帝として見られないからです。かつての少年郎を知っている。だからこそ、彼が皇帝として疑い、裁き、女たちを並べるたびに、失望は政治的な敗北ではなく愛の崩壊になります。

勝てないことが、如懿の答えになる

如懿を甄嬛のような策士として期待すると、彼女はもどかしく見えます。もっと早く動けばいい、もっと冷たくなればいい、と思う場面も多いでしょう。けれど、如懿が最後まで完全な勝者にならないことが、この作品の苦味です。

『如懿伝』は、後宮でどう勝つかを見せる作品ではありません。愛を制度に差し出した時、人はどこまで自分を失うのかを見せる作品です。甄嬛が後宮を生き抜いた人だとすれば、如懿は後宮の中で、最後まで失いたくないものを抱えた人です。その違いを知ると、彼女の「勝てなさ」は弱さではなく、作品の主題として見えてきます。

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